タイトルコード |
1000100598120 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
南宋・鎌倉仏教文化史論 |
書名ヨミ |
ナンソウ カマクラ ブッキョウ ブンカ シロン |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
西谷 功/著
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著者名ヨミ |
ニシタニ イサオ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
勉誠出版
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出版年月 |
2018.2 |
本体価格 |
¥15000 |
ISBN |
978-4-585-21044-3 |
ISBN |
4-585-21044-3 |
数量 |
17,763,39p 図版24p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
188.55
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件名 |
泉涌寺
仏教-中国
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内容紹介 |
宋代仏教との交渉のなかで、京洛東山・泉涌寺にもたらされ、伝播していった宋式の僧制・規則・儀礼。「清規」書や儀礼次第書、仏像や仏画などの文物に着目し、東アジア世界との関わりの中で展開した鎌倉仏教の意義を解明する。 |
著者紹介 |
1978年京都府生まれ。宗教法人泉涌寺宝物館「心照殿」学芸員、龍谷大学文学部非常勤講師。専門は仏教文化史、日本東洋仏教美術史、寺院史、心性史。 |
目次タイトル |
口絵 |
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序章 <規則>からみた南宋仏教請来の意義 |
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一 本書の研究視座 二 「宋-日本」間の仏教史の研究動向 三 奈良時代から平安時代初期における<規則>と僧侶の実態 四 平安時代における<規則>と僧侶の実態 五 摂関期・院政期における大陸仏教受容の在り方 六 平安後期における<規則>の「滅亡」とその内省 七 鎌倉時代における「三学」・<規則>の復興とその意義 |
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第一部 日宋間の人的交流とその場 |
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第一章 泉涌寺開山への諸相 |
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はじめに 一 入宋理由と南宋仏教 二 帰朝後の動向 三 『東林十六観堂勧進疏』の制作とその周辺 四 仙遊寺から泉涌寺へ 五 貴顕・民衆の帰依と勧進活動 六 俊【ジョウ】の示寂 おわりに |
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第二章 泉涌寺創建と仏牙舎利 |
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はじめに 一 泉涌寺創建当初の諸相 二 「湛海伝」の再検討 三 湛海にまつわる新出および再考資料 四 仏牙舎利請来の意図 五 白蓮寺の所在について おわりに |
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第三章 泉涌寺と南宋仏教の人的交流 |
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はじめに 一 俊【ジョウ】入宋中の行状 二 禅院・律院への参学 三 北峯宗印への参学 四 俊【ジョウ】の北礀居簡への参学 五 泉涌寺僧と古雲元粋 六 白蓮寺の所在とその宗教空間 おわりに |
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第四章 「滄洲」と入宋僧 |
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はじめに 一 良祐請来の宋版『無量寿仏讃註』とその周辺 二 「滄洲」の用例 三 「滄洲」の所在 四 『無量寿仏讃註』識語の再検討と「滄洲」僧 五 戒度とその著作の請来者 おわりに |
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第五章 入宋僧曇照の行状 |
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はじめに 一 『北京戒光律寺古記』の伝来経緯と書誌的考察 二 曇照と浄因行状の成立時期 三 中世後期成立の二つの「曇照行状」の再検討 四 曇照の一度目の入宋と帰朝後の活動 五 守一の行状 六 曇照と守一の再邂逅の「場」 おわりに |
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第六章 泉涌寺僧と蘭渓道隆の交流 |
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はじめに 一 入宋僧が体験した南宋時代の寺院制度と寺院生活、宗教環境 二 泉涌寺創建の意義とその宗教的環境 三 泉涌寺僧の宋地における禅教院への参学状況、帰朝後の活動 四 蘭渓道隆の宋地での行状、禅ネットワーク 五 泉涌寺僧「承仙」、禅僧「樵谷惟僊」再考 六 「信州僧ノ承仙」=天台僧「維仙」の可能性 おわりに |
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第二部 南宋仏教文化・儀礼・文物の受容と展開 |
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第一章 南宋律院請来の威儀・法式・法会次第の受容と泉涌寺流の展開 |
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はじめに 一 識語からわかること 二 本書の構成と内容 三 『南山北義見聞私記』発見の意義 四 『私記』発見による泉涌寺(流)の再考 |
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第二章 泉涌寺流における結夏儀礼の復興と南都諸寺院への影響 |
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はじめに 一 入宋僧・俊【ジョウ】による泉涌寺開山の意義 二 入宋中の夏安居体験と泉涌寺での夏安居 三 『南山北義見聞私記』「結夏章第八」の道場荘厳 四 結夏の「作法次第」 五 泉涌寺流の南都への展開再考 六 西大寺における「結夏」と仏像・仏画の制作 おわりに |
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第三章 泉涌寺旧蔵「涅槃変相図」とその儀礼の復元的考察 |
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はじめに 一 泉涌寺で興行された宋代仏教の年課・月課儀礼とその作法 二 俊【ジョウ】ら入宋僧のみた涅槃儀礼 三 仁岳「釈迦如来涅槃礼讃文」と泉涌寺旧蔵「涅槃変相図」 四 南宋代制作のその他の「涅槃図」例 五 南宋代制作の「祖師肖像画」とその儀礼 おわりに |
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第四章 宋式「金光明懺法」儀礼の請来と展開 |
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はじめに 一 東アジアにおける「金光明経」儀礼の成立と展開 二 宋代天台僧による「金光明懺法」儀礼の興行と入宋僧 三 南宋時代の「金光明懺法」儀礼と入宋僧 四 泉涌寺の宋式「金光明懺法」儀礼における神々(諸天)の招請 五 鎌倉時代における宋式「金光明懺法」の受容と実践 おわりに |
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第五章 南宋時代における普陀山観音信仰の展開とその造形 |
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はじめに 一 観音菩薩像の形状、構造、材質、納入品 二 「楊貴妃」観音の請来年の再検討 三 像容の検討 四 泉涌寺所蔵の「楊貴妃」観音像と月蓋長者像の奉安場所 五 湛海の普陀山観音請来の意図 六 入宋僧のみた普陀山観音像 七 観音の「聖地」普陀山の隆盛と展開 おわりに |
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第六章 楊貴妃観音像の<誕生> |
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はじめに 一 「楊貴妃観音」の初出資料とその解釈 二 観音像の請来理由 三 度重なる罹災と観音像の変容 四 観音の女性<性>化 五 楊貴妃伝承の普及と<誕生> 六 泉涌寺と近世・洛陽三十三所観音の復興 おわりに |
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終章 |
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一 入宋を契機とした俊【ジョウ】および泉涌寺僧の「教学」の再解釈 二 重層的な人的交流の実態解明による宋代仏教の相対化 三 日本中世仏教社会における宋代<如法>仏教儀礼興行の意義 四 宋式儀礼の興行と文物の普及、その歴史的背景 五 泉涌寺という「場」に参学すること |
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資料篇 |
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一 泉涌寺不可棄法師伝 二 仏牙舎利関係資料 三 北京戒光律寺古記 四 南山北義見聞私記 五 泉山僧堂浄式 |