タイトルコード |
1000100878051 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
スポーツが愛するテクノロジー |
書名ヨミ |
スポーツ ガ アイスル テクノロジー |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
柏原 全孝/著
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著者名ヨミ |
カシハラ マサタカ |
出版地 |
京都 |
出版者 |
世界思想社
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出版年月 |
2021.2 |
本体価格 |
¥3200 |
ISBN |
978-4-7907-1752-2 |
ISBN |
4-7907-1752-2 |
数量 |
7,324p |
大きさ |
20cm |
分類記号 |
780
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件名 |
スポーツ
スポーツルール
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注記 |
文献:p318〜323 |
内容紹介 |
スポーツが抱える多くの謎の一端を、ルールを手がかりに考える試み。テニス、サッカー、新体操、大相撲からデスマッチまで、スポーツがますますテクノロジーに傾倒していく近年の現象をルールを視軸に検討する。 |
著者紹介 |
1967年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。甲南女子大学人間科学部文化社会学科准教授。共著に「都市的世界」「コミュニケーション社会学入門」などがある。 |
目次タイトル |
序章 スポーツ、遊び、ゲーム、そしてルール |
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第1章 すべてのスポーツはゲームである? |
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はじめに ルールから始める ルールは禁止する プレイは何を目指す? パフォーマンスとゲーム ルール、レフェリー、ジャッジ ゲームとスキル 理想とスキル まとめ |
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第2章 採点競技の地平 |
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はじめに パフォーマンスに構成的ルールはあるはず パフォーマンスの前ゲーム的目標 飛込の前ゲーム的目標は? 難しさと美しさ、二つの基準 二つの目標到達 美しさが目標になる パフォーマンスはゲームではないと考えざるを… まとめ |
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第3章 新体操はスポーツである |
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はじめに 新体操の概要 一九九〇年代までの採点規則 スポーツとしてあることと難度 新体操の大変革、採点規則<二〇〇一> 柔軟性偏重の時代 柔軟性批判論 イデオロギー化した柔軟性偏重 まとめ |
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第4章 新体操は何を競うのか |
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はじめに 難度重視批判と芸術性 スポーツ化の先の非スポーツ化 柔軟性主義イデオロギーの罠 美の再定義 難度への翻訳 新体操の美は見る者に届く表現である 自己への問い 美しさありき まとめ |
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第5章 テクノフィリアの襲来 |
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はじめに スポーツのエートス 誤審とテクノロジー プラティニとゴールラインテクノロジー テクノフィリアの台頭 不在の審判 審判という標的 まとめ |
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第6章 サッカーは二度見する |
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はじめに VARと監視 従属する主体としてのプレイヤー VARとPK 誤審の可能性 審判の二つの役割 VARとGLT まとめ |
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第7章 見るテクノロジーと誤審 |
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はじめに 証拠としての写真 一九五五年と一九五六年の距離 テレビと写真判定 写真判定と新聞 一回性と取り直し ビデオ判定一年前の熱量 写真判定への期待感 一九六九年三月写真判定採用決定報道 まとめ |
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第8章 テニスとフェティシズム |
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はじめに ホークアイとビデオ判定 ホークアイ・フェティシズムと無謬性 フェティシズム装置としての動画 ホークアイ動画の娯楽性 正確な判定を求める態度 倫理的態度とフェティシズムの共犯 決定不能であること 有限のゲームと無限のゲーム まとめ |
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第9章 スポーツの彼岸 |
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はじめに 非スポーツとしてのプロレス かつてのデスマッチ 有刺鉄線との出合い 痛さ、流血、凶器 流血のリアルとギミック パロディという視点 自立するデスマッチアイテム デスマッチからもう一つのプロレスへ パロディと強さ デスマッチが照らすスポーツ まとめ |
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終章 スポーツがテクノロジーを愛しても、テクノロジーがスポーツを愛するわけではない |