タイトルコード |
1000100947304 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
評伝成瀬仁蔵 |
書名ヨミ |
ヒョウデン ナルセ ジンゾウ |
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女子高等教育から「社会改良」へ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
片桐 芳雄/著
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著者名ヨミ |
カタギリ ヨシオ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
日本女子大学
風間書房(発売)
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出版年月 |
2021.11 |
本体価格 |
¥4500 |
ISBN |
978-4-7599-2400-8 |
ISBN |
4-7599-2400-8 |
数量 |
8,774p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
289.1
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個人件名 |
成瀬 仁蔵 |
注記 |
文献:p713〜738 成瀬仁蔵略年譜:p740〜753 |
内容紹介 |
日本女子大学創立者・成瀬仁蔵。女子教育を通して理想的社会を造るべく「社会改良者」となり、新たな世界観を創造しようとした成瀬仁蔵の精神と生涯に迫る評伝。年譜、人名・事項索引等も掲載。 |
著者紹介 |
1944年生まれ。愛知教育大学名誉教授。日本女子大学名誉教授。教育学博士(東京大学)。著書に「自由民権期教育史研究」など。 |
目次タイトル |
序章 成瀬仁蔵の魅力 |
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第一部 成瀬仁蔵の出発 |
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第一章 長州吉敷の成瀬仁蔵-女子高等教育論の原点- |
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一 長州吉敷の成瀬家、そして父と母 二 激動する幕末の長州吉敷と成瀬仁蔵の先輩たち 三 「遅れてきた青年」成瀬仁蔵 四 成瀬仁蔵にとっての女子高等教育 |
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第二章 成瀬仁蔵の女子高等教育への道-大阪、大和郡山、そして新潟へ- |
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一 成瀬仁蔵の迷いと決意 二 梅花女学校の設立へ 三 梅花女学校教員を辞職 四 布教活動への専心-そして新潟 |
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第三章 新潟の成瀬仁蔵-試練のなかの牧師生活- |
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一 新潟へ 二 新潟のキリスト教事情-成瀬仁蔵を待ち受けていたもの 三 新潟の成瀬仁蔵 四 成瀬仁蔵の牧師辞任 |
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第四章 北越学館事件の成瀬仁蔵と内村鑑三-「成瀬意見書」の検討を通して- |
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一 内村鑑三の成瀬仁蔵評 二 北越学館設立の経緯 三 北越学館の設立 四 内村鑑三の教頭就任 五 内村教頭着任 六 「事件」勃発 七 成瀬仁蔵による内村仮教頭解任勧告 八 内村辞任-意外な結末 |
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第五章 新潟女学校と成瀬仁蔵-キリスト教教育をめぐって- |
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一 女子教育への情熱 二 新潟での新たな出会い 三 新潟女学校設立主意書の発表 四 新潟女学校開校へ 五 いよいよ開校 六 新潟女学校の教育-キリスト教教育のゆくえ |
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第二部 米国の成瀬仁蔵 |
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第六章 成瀬仁蔵の米国留学-タッカーとの出会い- |
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一 成瀬仁蔵とキリスト教 二 渡米直後の成瀬仁蔵 三 タッカーとの出会い、「社会学」との遭遇 四 タッカーのキリスト教観 |
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第七章 米国の成瀬仁蔵とキリスト教-「神学上の問題」- |
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一 一九世紀米国と「神学上の問題」 二 成瀬仁蔵の新神学 三 ムーディーの夏期学校 四 フィリップス・ブルックスとの面談 五 ユニテリアンとの交流 六 壮大なAmbition |
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第八章 「女性の領域(Woman's Sphere)」と女子高等教育-米国での模索- |
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一 女子大学の創設へ 二 「女性の領域(Woman's Sphere)」 三 現実の女性 |
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第九章 米国留学報告書としての『女子教育』の出版-米国で学んだこと- |
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一 米国女子高等教育事情と成瀬仁蔵 二 『女子教育』の出版に向けて 三 『女子教育』の出版 |
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第一〇章 成瀬仁蔵の女子大学構想と米国-Women's Universityの夢- |
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一 カレッジとユニヴァーシティ 二 模索する成瀬仁蔵 三 成瀬仁蔵と家政学 四 帰国 |
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第三部 日本女子大学の成瀬仁蔵 |
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第一一章 胸突き八丁の成瀬仁蔵-帰国から日本女子大学校創設まで- |
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一 帰国後の模索 二 始動・高揚、そして停滞 三 再起 |
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第一二章 成瀬仁蔵と巌本善治-女子高等教育をめぐる相剋- |
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一 『女学雑誌』と巌本善治 二 巌本善治の女性論と女子教育論 三 巌本善治と女子高等教育 |
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第一三章 日本女子大学校の展開-女子総合大学を目指して(上)- |
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一 原型としての梅花女学校改革 二 Women's Universityに向けて 三 「一大飛躍」 |
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第一四章 日本女子大学校の展開-女子総合大学を目指して(下)- |
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一 「女子高等教育最寒時代」 二 めげない成瀬仁蔵 三 「普通教育」(ジェネラル・エデュケーション)と「専門教育」(プロフェショナル・エデュケーション)、又は「リベラル・エデュケーション」と「職業教育」 |
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第一五章 日本女子大学校の教育-個人性と社会性- |
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一 日本女子大学校の教育 二 「自治生活」の重視 三 「個人性」と「社会性」のゆくえ |
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第一六章 日本女子大学校の体育教育-「容儀体操」を中心に- |
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一 成瀬仁蔵と体育教育 二 日本女子大学校の「容儀体操」 |
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第四部 日本と世界の中の成瀬仁蔵 |
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第一七章 教育調査会と成瀬仁蔵-女子大学の制度化を求めて- |
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一 教育調査会の設置と成瀬仁蔵 二 第二次大隈重信内閣の下での教育調査会 三 高田早苗の文相就任と「大学令要項」の諮問 四 国語改良問題と成瀬仁蔵 |
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第一八章 帰一思想と成瀬仁蔵-「信念」の源泉- |
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一 宗教問題の探求 二 帰一協会の創設 三 帰一協会の対外活動 |
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第一九章 帰一思想の到達点-「自然の美」と「デモクラシーの根本精神」- |
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一 「世界的宗教」の後退と「私の宗教」の深化 二 「軽井沢山上の生活」 三 「軽井沢山上の生活」の展開 四 「デモクラシーの根本精神」に向けて |
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第二〇章 臨時教育会議と成瀬仁蔵-女子大学への厚い壁- |
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一 臨時教育会議の設置 二 成瀬仁蔵の活躍 三 女子教育をめぐって 四 「世界維新」をめざして |
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第二一章 成瀬仁蔵逝く |
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一 体調の異変 二 デューイ来訪 三 「今後は真に時間空間を超越ス」 |
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終章 現代に生きる成瀬仁蔵-その女性観・教育観・宗教観- |
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一 女性観-「天職」のある女性 二 教育観-自学自動主義 三 宗教観-帰一思想 |