タイトルコード |
1000100245109 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
カール・バルト破局のなかの希望 |
書名ヨミ |
カール バルト ハキョク ノ ナカ ノ キボウ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
福嶋 揚/著
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著者名ヨミ |
フクシマ ヨウ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
ぷねうま舎
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出版年月 |
2015.1 |
本体価格 |
¥6400 |
ISBN |
978-4-906791-40-8 |
ISBN |
4-906791-40-8 |
数量 |
341,23p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
191.9
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個人件名 |
Barth Karl |
注記 |
文献:巻末p7〜23 |
内容紹介 |
宗教思想史に転換を印した神学の巨人、カール・バルトの主著「教会教義学」と正面から向き合い、生涯を賭けた思索の構造をたどり、そのダイナミックな力動を支えた、啓示の根幹に迫る。 |
著者紹介 |
1968年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻博士課程修了。ハイデルベルク大学神学部にて神学博士号取得。青山学院大学、白百合女子大学、東京神学大学兼任講師。 |
目次タイトル |
序章 死の陰の谷において |
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一 バルト神学における死生観 二 バルトを読む二重の視座 三 本書の視点と構成 |
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第一部 永生と今生のあいだ |
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第一章 時間と永遠 |
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一 時間の身近さと遠さ 二 時間と永遠の対立という「バビロン捕囚」を超えて 三 三位一体的な永遠 四 瞑想-永遠との対峙 |
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第二章 聖霊・魂・肉体 |
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一 魂と肉体の根源としての聖霊 二 「肉体の魂」である人間の生命 三 「肉体の魂」である人間の死 四 魂と肉体の全体性の成就-復活の表象 五 不死の思想 |
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第三章 人間の死とキリストの死 |
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一 「何処へ」という問いを投げかける死 二 神の審判の徴としての死 三 神と人間との関係の中における死 四 キリストによる生命の栄光化と永遠化 五 個人的死生観と社会的死生観 |
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第二部 人間世界の自己破壊を超えて |
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第四章 生命への畏敬について |
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一 生命への畏敬 二 シュヴァイツァーの「生命への畏敬」の倫理 三 畏敬倫理を包摂する死生観 四 生命への畏敬と病 五 哲学と神学の接点としての生命への畏敬 六 畏敬倫理の地平としての終末論 |
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第五章 自殺について |
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一 バルトの自殺論 二 滝沢克己の自殺論 三 バルトと滝沢の自殺論の射程 |
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第六章 戦争について |
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一 バルト神学における戦争論の位置 二 戦争の特徴と本質 三 可能な限りの戦争回避 四 非常事態の防衛戦争 五 核武装と核戦争の全面否定 六 バルトの戦争論の射程 |
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第七章 人生の一回性について |
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一 欠如としての悪しき一回性 二 積極的な善き一回性 三 時間と永遠の相互浸透 四 メメント・モリとメメント・ドミニの連関 五 関係性における一回的人生 |
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第三部 正義・和解・未来 |
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第八章 倫理の源泉としての義認 |
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一 大いなる謎としての義認 二 客体的義認から主体的義認への転換 三 義の宣告から義の実現への移行 四 バルトからハンス・キュンクへ 五 エキュメニカルな義認論 六 非キリスト教世界にとっての義認論 七 倫理の源泉としての義認 |
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第九章 生命の光 |
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一 バルメン宣言、とりわけその第一条 二 バルメン宣言から「生命の光」論へ 三 生と死の土台としてのキリスト |
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第一〇章 希望に基づく闘争 |
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一 闘争としての祈り 二 闘争の限定 三 闘争の源泉 四 闘争の態度 五 闘争の対象 六 闘争が連帯するもの 七 未完の闘争 |
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第一一章 バルトの唯一の終末論講義 |
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一 終末論講義の位置と構成 二 終末論講義の特徴 三 終末論講義の意義 |
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終章 死から生へと向かう希望 |
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一 人間の死と生 二 キリスト教世界の死と生 三 神学者バルトの死と生 四 地球生態系における死と生 |