タイトルコード |
1000100345098 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
大学の条件 |
書名ヨミ |
ダイガク ノ ジョウケン |
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大衆化と市場化の経済分析 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
矢野 眞和/著
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著者名ヨミ |
ヤノ マサカズ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
東京大学出版会
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出版年月 |
2015.12 |
本体価格 |
¥3800 |
ISBN |
978-4-13-051332-6 |
ISBN |
4-13-051332-6 |
数量 |
9,274p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
371.3
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件名 |
教育経済学
大学
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注記 |
文献:p259〜264 |
内容紹介 |
みんなのために大学をひらく政策は、税金のムダづかいではなく、経済社会に有益な公共投資である-。実証データを丁寧に解析し、教育経済学の論理を展開する。著者が長年にわたり問い続ける大学論の集大成。 |
著者紹介 |
1944年東京都生まれ。東京工業大学工学部卒業。工学博士。東京工業大学名誉教授。東京工業高等専門学校特命教授。著書に「試験の時代の終焉」「高等教育の経済分析と政策」など。 |
目次タイトル |
序章 それでも大学はみんなのためにある |
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公と私のゆらぐ境界線 大衆化のはじまり-高等教育100年 市場化のはじまり-大学は誰のためにあるのか 現状を肯定する保守的世論-利己的家族主義 機会の不平等を社会問題にしない世論-国立大学史観 それでも大学はみんなのためにある-公と私の長期ダイナミズム 教授における経済の原理 |
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Ⅰ なぜ大学に進学しないのか |
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1章 「後期大衆化」段階の深い溝 |
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「ユニバーサル」段階論の日本的疑問 大学本位制の日本的経済構造-なぜ大学に進学しないのか 社会的矛盾を孕む50%進学率 普及モデルから進学率を考える 「後期大衆化」段階への移行期 |
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2章 大学に進学しない理由(1) |
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大学進学率と高等教育機関進学率の落差 進学需要の分析枠組と目的 分析の対象・変数・データ 顕在的進学需要の実証分析-所得・授業料・合格率モデル 時代による志願率の構造変容 投資収益が有意にならない理由-第2期は雇用不安の時代 飽和状態に達した志願率と機会の不平等 「高校生調査」にみる機会の不平等 |
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3章 大学に進学しない理由(2) |
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進路選択の希望と決定 就職率の「就職機会」モデル 就職率の「進学機会」モデル 就職と進学のゆらぎ-高校1・2年次の進路意識とゆらぎ 進路選択の理由とゆらぎの関係 |
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4章 大学に進学しない理由(3) |
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就職と大学の狭間 専門学校への進学-就職機会と大学進学機会モデル 大学志願の受け皿から就職不安の受け皿に転換できるか 専門学校進学者のゆらぎと進学の理由 誰が専門学校を志望するのか |
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5章 学力があるのに,親が大卒なのに,なぜ進学しないのか |
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数字から浮かび上がる「教育の質」 進路選択の社会学 男子の大学本位制・女子の高等教育階梯制 大学進学の学力分布-すでに高齢世代から大衆化 学力があるのになぜ進学しないのか 大卒者の子弟が危険回避しない理由 親が大卒なのに,なぜ進学しないのか 家族資本主義がつくった日本的大衆大学 |
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6章 家族資本主義の帰結 |
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家族資本モデルと時系列経済モデルの関係-誰が限界人間か 「後期大衆化」段階のキャズム 「後期大衆化段階」の機会問題-家族資本主義という自己責任 新しい「機会理念」の構築と政策-育英主義の終わり |
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Ⅱ 雇用効率と学習効率の接続 |
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7章 大衆化しても上昇する大卒プレミアム |
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葬られてきた日本のヒューマンキャピタル理論 人間資本理論の終焉と復活 OECD統計にみる高等教育プレミアム 高学歴化しても上昇する相対所得 大学収益率のダイナミックな変容-豊かな平等社会から不平等社会へ 人間資本革命・スキル偏向的技術進歩・グローバリゼーション 平等社会のための効率的投資 大衆化批判への反論-誰でも勉強すれば報われる 重大な欠落-非正規雇用/専門学校/大学院/女性 |
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8章 誰のための大学か |
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公私負担の4類型と日本のポジション 負担と受益の不透明な関係-利己・公共・奉仕・詐欺 負担と受益の関係-社会的収益率・私的収益率・財政的収益率 「奉仕」する私立大学 社会的収益率は税収入効果よりも大きい みんなのための大学を考える起点 温かい経済の勘定と冷たい世間の感情-日本の収益率は決して小さくない |
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9章 学習効率から雇用効率への接続 |
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学習効率の経済効果 キャリア調査の意義とその成果 教育無効説の検証 「学び習慣」は生涯の財産 |
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Ⅲ ポスト大学改革の課題 |
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10章 日本的家族と日本的雇用の殉教者 |
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日本の新人 「大学と企業の関係」は変わっていない 日本の大学の何が日本的か? 日本的大衆大学の病 3点セットの日本的大衆大学 家族と会社に羽交締めされている大学 幽閉された学生を解放する政策 |
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11章 制度改革から経営革新への転換 |
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「経営と政策」の協調を求めて 新制大学の制度的困難 改革は終わった-残ったのは経営とカリキュラム カリキュラムのマネジメント-個人の力を組織の力へ ガバナンス改革の登場 脱ビジネスランドの大学-冒険・時間・仲間 |
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終章 精神・制度・資源の再構築 |
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精神と制度に偏った改革論 資源論からの政策-資源配分の原理と学生の行動 経営と政策の協調を考える理由 平等と効率の政策的含意-教育投資が経済を変える,社会を変える 世論の失敗-教育劣位社会日本の病 政策から世論を変える 教育家族から教育社会へ-費用負担のパラダイムシフト みんなのための大学政策に向けて |