タイトルコード |
1000100789033 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
われわれが災禍を悼むとき |
書名ヨミ |
ワレワレ ガ サイカ オ イタム トキ |
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慰霊祭・追悼式の社会学 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
福田 雄/著
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著者名ヨミ |
フクダ ユウ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
慶應義塾大学出版会
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出版年月 |
2020.3 |
本体価格 |
¥3000 |
ISBN |
978-4-7664-2654-0 |
ISBN |
4-7664-2654-0 |
数量 |
4,220,12p |
大きさ |
20cm |
分類記号 |
369.3
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件名 |
災害
宗教社会学
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注記 |
文献:巻末p5〜12 |
内容紹介 |
災禍という不条理に遭い、大切な人々を失い、遺される者達。繰り返し集い、祈りを捧げる被災者や遺族、支援者や宗教者達。東日本大震災、スマトラ島沖地震の被災地における儀礼をあとづけ、人々が苦難と向き合う軌跡を辿る。 |
著者紹介 |
1981年生まれ。関西学院大学大学院社会学研究科博士課程修了、博士(社会学)。東北大学東北アジア研究センター助教。 |
目次タイトル |
序章 災禍の儀礼の社会学に向けて |
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1 はじめに 2 ディザスターリチュアル論の可能性と課題 3 ディザスターリチュアル論から災禍の儀礼の社会学へ 4 現代社会の苦難へのコーピングの比較考察に向けて |
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第1章 苦難へのコーピングと宗教 |
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1 「なぜ」をめぐる問いと災禍の宗教的意味づけ 2 ディザスターリチュアル論における災禍と宗教 3 世俗化論と苦難の意味論の不可能性 4 津波の叡智-「試練」としてのスマトラ島沖地震 5 アチェ固有の文脈と背景 6 苦難へのコーピングの日常的文脈と歴史的経緯の考察に向けて |
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第2章 苦難の神義論における集団と個人 |
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1 苦難の神義論再考 2 インドネシアの災害観 3 分析対象としての記念式典 4 インドネシア・アチェのツナミ記念式典 5 ツナミの教説が生きられる日常的文脈 6 苦難の神義論とアチェを生きること |
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第3章 苦難の神義論から「救いの約束」論へ |
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1 マルティン・リーゼブロートの宗教論 2 実践的応答としての救いの約束論 3 ヴェーバーとリーゼブロートにとっての苦難の問題 4 苦難の神義論から救いの約束論へ |
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第4章 救いの約束のバリエーション |
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1 救いの約束論からみるアチェの苦難へのコーピング 2 「救いの約束」の両義性 3 東日本大震災の記念行事における救いの約束 4 災禍の儀礼の比較社会学の可能性 |
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第5章 「無宗教」式の慰霊・追悼と「儀礼のエキスパート」 |
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1 ディザスターリチュアル論における「儀礼のエキスパート」 2 南三陸町の概要と東日本大震災 3 町主催の慰霊祭と追悼式 4 アートとしての「きりこプロジェクト」 5 「南三陸町の海に思いを届けよう」 6 「記念の作業」と苦難のコレオグラフ |
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第6章 儀礼のディレクション(演出/方向)と「われわれ」のダイナミズム |
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1 非常な死への社会的応答 2 儀礼の変容を記述する 3 長崎市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 4 なぜ死者は生者からまなざされなくなったのか 5 「われわれ」という死のあり方 6 儀礼によって位置づけられる死と生 |
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終章 遇うて空しく過ぐること勿れ |