タイトルコード |
1000100878607 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
持たざる者たちの文学史 |
書名ヨミ |
モタザル モノタチ ノ ブンガクシ |
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帝国と群衆の近代 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
吉田 裕/著
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著者名ヨミ |
ヨシダ ユタカ |
出版地 |
調布 |
出版者 |
月曜社
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出版年月 |
2021.3 |
本体価格 |
¥4500 |
ISBN |
978-4-86503-107-2 |
ISBN |
4-86503-107-2 |
数量 |
413p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
902.05
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件名 |
文学-歴史
ポストコロニアリズム
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注記 |
文献:p376〜404 |
内容紹介 |
世界文学と民衆史の交点から紡ぐ、群衆論の新地平。英米文学からカリブ/アフリカ文学までを扱い、植民地出身の知識人が、否定的な群衆像をいかにして大衆や人民、民衆という主体へと肯定的に読み替えたかをたどる。 |
目次タイトル |
はじめに |
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一 なぜ群衆か? 二 問題の所在-「ポストコロニアル」あるいは「第三世界」? 三 語彙の問題と近年の研究 四 本書の方法 五 本書の構成 |
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第一部 群衆(帝国主義) |
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第一章 人びとが集まることはなぜ「危険」なのか?-ポー、ボードレール、コンラッドに見る都市と植民地の群衆 |
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一 はじめに 二 大都市の群衆-ポー「群衆の人」における客観性と科学 三 ボードレールの植民地への想像力と群衆の女性化 四 植民地の群衆-ル・ボン『群衆心理』からコンラッド『闇の奥』へ 五 スラムと植民地をつなぐ-ロンドンの群衆 六 コンラッドの初期小説における群衆 七 おわりに |
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第二章 群衆と共同体、そして不可能な抵抗-ジョウゼフ・コンラッド『ロード・ジム』と『ノストローモ』 |
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一 はじめに 二 「われわれ」の反復とアイロニー 三 群衆と『ロード・ジム』 四 群衆、コンラッド、そしてフロイト-『ノストローモ』について 五 『ノストローモ』における群衆言説 六 「われわれ」と群衆 七 「恥知らず」の人びと-痕跡としての群衆 八 おわりに |
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第二部 大衆(革命と反帝国主義) |
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第三章 歴史認述、あるいはハイチ革命における友愛の問い-C・L・R・ジェームズ『ブラック・ジャコバン』 |
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一 はじめに 二 カリブ海地域の歴史記述と民衆、そして作者の問い 三 『ブラック・ジャコバン』(一九三八年)-ジェンダー、法、テクスト 四 戯曲版「ブラック・ジャコバン」(一九六七年) 五 博愛への問い 六 おわりに |
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第四章 バンドン、脱植民地化の未完のプロジェクト-リチャード・ライト『カラー・カーテン』 |
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一 はじめに 二 第三世界としてのバンドン? 三 リチャード・ライトの民族主義と脱民族主義的闘争 四 冷戦の枠組みにおける心理学と宗教-『カラー・カーテン』 五 ジェンダー、人種主義、そして冷戦期の地図作成法 六 おわりに |
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第三部 人民/国民(脱植民地化) |
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第五章 植民地主義と情動、心的な生のゆくえ-ジョージ・ラミング『私の肌の砦のなかで』と『故国喪失の喜び』における恥の位置 |
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一 はじめに 二 情動の批判性と恥の位置 三 恥、罪責、責任-「黒人作家とその世界」 四 帝国と隷属を照らす恥-『私の肌の砦のなかで』 五 「母国」という問い-『故国喪失の喜び』の『テンペスト』読解 六 おわりに |
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第六章 モーセと抵抗の考古学-グギ・ワ・ジオンゴ『一粒の麦』のネーションと母性性 |
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一 はじめに 二 フロイト「モーセという男と一神教」における考古学と精神分析 三 カリブ海地域におけるモーセ-ラミングの新植民地主義の形象を読むグギ 四 『一粒の麦』におけるグギのモーセ 五 ケニヤッタの人類学とグギによる母性性批判 六 おわりに |
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第四部 民衆(新植民地主義) |
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第七章 「諷刺か、食人主義か」 |
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一 はじめに 二 ケニアにおける新植民地主義的状況と「マウマウ」の記憶 三 諷刺についての言説とグギの介入 四 新植民地主義に向き合う-グギによる金芝河の諷刺の用い方 五 「自らを食べた口」-食人主義、資本主義、キリスト教 六 おわりに |
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おわりに |
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一 本書のまとめ 二 ポピュリズム、そして人民の問い 三 暴力と非暴力、そして支配をめぐって 四 今後の展望-比較冷戦文学史へ向けて |