タイトルコード |
1000101047944 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
マックス・シェーラーの倫理思想 |
書名ヨミ |
マックス シェーラー ノ リンリ シソウ |
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<倫理的人格の生成と存在>の視座から |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
岩谷 信/著
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著者名ヨミ |
イワヤ マコト |
出版地 |
仙台 |
出版者 |
東北大学出版会
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出版年月 |
2023.1 |
本体価格 |
¥5800 |
ISBN |
978-4-86163-378-2 |
ISBN |
4-86163-378-2 |
数量 |
14,356p |
大きさ |
21cm |
分類記号 |
134.9
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個人件名 |
Scheler Max |
注記 |
文献:p341〜342 |
内容紹介 |
マックス・シェーラーの倫理的ないしは倫理学的な思索の筋道を解明。それをもとに、実質的価値倫理学像とは少し異なるシェーラー倫理学像を描き出すと共に、シェーラーの倫理思想の今日的な意義を考察する。 |
著者紹介 |
秋田県生まれ。東北学院大学人間情報学研究所客員研究員。共著に「生きることの探究」など。 |
目次タイトル |
第一章 起点としての<尊厳死>の「尊厳」問題 |
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第一節 考察方向の定位のための予備的考察 第二節 論究の場としての『同情論』での第三の「愛の秩序」 |
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第二章 「愛の秩序」としての「同情感情の基礎づけ法則」(その一) |
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第三節 「宇宙生命的な一体感」による「追感得」の基礎づけ 第四節 「追感得」による「共同感情」の基礎づけ |
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第三章 「愛の秩序」としての「同情感情の基礎づけ法則」(その二) |
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第五節 「共同感情」による「人類愛(フマニタス)」の基礎づけ 第六節 シェーラーの説く「現象学的態度」 第七節 「同情感情」での<認識の愛・関与>と<実践の愛・参与>との協働 |
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第四章 「愛の秩序」としての「同情感情の基礎づけ法則」(その三) |
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第八節 「普遍的」な「価値環境世界」としての「倫理的宇宙」 第九節 「共同感情」と「人類愛」による「無宇宙論的愛」の基礎づけ 第一〇節 <第三の愛の秩序>論の総括と新たな考察のための<路線図>の提示 |
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第五章 <精神化した高次の自愛>としての「道徳的な自己愛」の主体 |
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第一一節 起点としての、「生命的」無意識的な「自愛」の主体の<精神化> 第一二節 「生き生きとして実効的な典型」としての「愛の秩序」とそれの「反省」 第一三節 「自己愛」の諸作用を統括する「内的実存」としての「秘奥的人格」 第一四節 「道徳的自己愛」の主体の人間的「人格現象」とその四つの契機 第一五節 「個別人格」を構成する「相対的に」と「絶対的に」の二つの「秘奥的人格」 |
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第六章 人間的「人格」の「生成と存在」の場としての「社会的統一態」 |
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第一六節 諸々の「社会的統一態」を貫いて生きる「相対的に秘奥的な人格」 第一七節 「生命共同社会」を支える「自然的」で「生命的な連帯性」 第一八節 「欲得社会」を支える「技巧的」な「利害関係の連帯性」 |
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第七章 「欲得社会」での「最高の自己愛」としての「真正な自己愛」 |
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第一九節 「西欧近代のエートス」の<相対化>のためのシェーラーの方策 第二〇節 「自愛」としての「エゴイズム」の自己変容とその諸形態 第二一節 「道徳的自己愛」の主体から「宗教的自己愛」の主体への<自己変容> |
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第八章 「倫理的宇宙」としての「教会」の一員となる「真正な自己愛」の主体 |
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第二二節 「精神的な個別人格」たちの「心術共同体」としての「総体人格」 第二三節 「道徳的自己愛」の主体としての「個別人格」の最終的な「心術転換」 第二四節 「秘奥的人格」の「個体性」の「度外視」と「連帯性」の「自覚」 第二五節 自己存在の「空無性」の自覚という、「秘奥的人格」の「形式的性格」 第二六節 新たな問題としての「倫理的な連帯性の原理」の「基礎づけ」 |
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第九章 シェーラーの描く「倫理的に価値ある人格」像とその破棄 |
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第二七節 シェーラーの説くキリスト教的な<善人>論と「人間の尊厳」の問題 第二八節 「著者にとっての倫理的に価値ある人格」像とその撤回 第二九節 新たな「人間の尊厳」論での<倫理学的なニヒリズム>の顕在化 第三〇節 「世界の存在と価値」を「構成」する「人間」に「帰属する作用」 |
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第一〇章 シェーラーを導いていた<いま一つ>の「倫理的に価値ある人格」像 |
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第三一節 「同情の諸感情」の「基礎づけ」関係についての非「有神論」的な再考察 第三二節 「自己愛」の主体の「自己価値意識」の「空無性」を「絶対的に」充足するもの 第三三節 <倫理的な連帯性>としての<愛と応答愛の倫理>のいま一つの基礎づけ 第三四節 「なぜに私が、あるべきことをなすべきなのか」と自問する「私」 |
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第一一章 シェーラーの倫理思想の今日的な意義-結語に代えて |
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第三五節 <間主体的な実存>の可能的存在様式としての「倫理的に価値ある人格」 第三六節 ハイデッガーの説く「本来的な相互存在」 第三七節 レヴィナスの脱く「精神的な生活の原理」としての「汝、殺すなかれ」 第三八節 自己心理学者・コフートが説く「ナルシシズム」の最高形態 |