タイトルコード |
1000101162618 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
写真文学論 |
書名ヨミ |
シャシン ブンガクロン |
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見えるものと見えないもの |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
塚本 昌則/著
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著者名ヨミ |
ツカモト マサノリ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
東京大学出版会
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出版年月 |
2024.5 |
本体価格 |
¥4800 |
ISBN |
978-4-13-080069-3 |
ISBN |
4-13-080069-3 |
数量 |
4,320,10p |
大きさ |
20cm |
分類記号 |
950.27
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件名 |
フランス文学
写真
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内容紹介 |
その成立に写真が重要な役割を果たす写真文学。言葉と写真という2つのメディア的な身体感覚が一体となる瞬間を作家はどのように手繰り寄せたのか。「死の都ブリュージュ」など1890年代以降の主要作品を通して検討する。 |
著者紹介 |
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。同大学大学院人文社会系研究科教授。文学博士(パリ第12大学)。著書に「目覚めたまま見る夢」「フランス文学講義」など。 |
目次タイトル |
序章 写真文学とは何か |
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1 顔の物語 2 小説の危機と写真文学の誕生 3 言葉のイメージと写真イメージの交点-風景としての人間 4 顔の消滅、顔の出現-写真文学の世界へ |
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第Ⅰ部 顔、風景、ドキュメント-写真の中の見えないもの |
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第1章 風景写真の使用法-ジョルジュ・ローデンバック『死の都ブリュージュ』(一八九二) |
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1 無人の街路-風景写真の使用法 2 写真都市ブリュージュ 3 絵葉書とは何か 4 出現のモチーフ |
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第2章 肖像写真の使用法-アンドレ・ブルトン『ナジャ』(一九二八、一九六三) |
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1 肖像写真の使用法Ⅰ-ヒロインの顔を示さないこと 2 「取り乱した証人」 3 肖像写真の使用法Ⅱ-男たちの写真 4 風景写真の使用法-凡庸さの外観、扉としての写真 |
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第3章 ドキュメント写真の使用法-谷崎潤一郎『吉野葛』(一九三一、一九三七) |
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1 「初音の鼓」-『吉野葛』における写真の使用法 2 虚構の手紙の写真 3 手帳の写真-W・G・ゼーバルト「アンブロース・アーデルヴァルト」をめぐって 4 写真は実物に似ているのか |
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第Ⅱ部 空白のスクリーン、不在の写真 |
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第4章 戦争の記憶、空白のスクリーン-ジョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』(一九七五)、パトリック・モディアノ『ドラ・ブリュデール』(一九九七) |
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1 子供の写真-空白の部屋(ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』Ⅰ) 2 偽りの記憶-批評的自伝(ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』Ⅱ) 3 透かし模様のスクリーン(モディアノ『ドラ・ブリュデール』Ⅰ) 4 ドラの顔(モディアノ『ドラ・ブリュデール』Ⅱ) |
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第5章 不在の写真-マルグリット・デュラス『愛人』(一九八四)、アニー・エルノー『娘の回想』(二〇一六) |
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1 「絶対の写真」-行為としての写真(デュラス『愛人』Ⅰ) 2 「絶望の写真」-イメージの場所(デュラス『愛人』Ⅱ) 3 撮られなかった写真-エルノーの場合(『娘の回想』) 4 写真が作り出す現実-アニー・エルノー『写真の使用法』 |
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第6章 記憶の想起と写真-W・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(二〇〇一) |
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1 迷子の写真-主人公の肖像写真 2 リヴァプール・ストリート駅の情景-見えない写真 3 『アウステルリッツ』と『失われた時を求めて』-見出された時と写真の使用法 4 母親の肖像 |
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第Ⅲ部 日常生活と写真 |
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第7章 日常礼讃-ロラン・バルト『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(一九七五) |
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1 伝記素-私的な生活 2 写真と俳句 3 「存在の増幅器」としての写真-ジル・モラ/クロード・ノリ『写真宣言』(一九八二) 4 肖像写真に写らないもの |