タイトルコード |
1000100701760 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
3・11以後の環境倫理 |
書名ヨミ |
サン イチイチ イゴ ノ カンキョウ リンリ |
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風景論から世代間倫理へ |
版表示 |
改訂版 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
菅原 潤/著
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著者名ヨミ |
スガワラ ジュン |
出版地 |
京都 |
出版者 |
昭和堂
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出版年月 |
2019.4 |
本体価格 |
¥2800 |
ISBN |
978-4-8122-1819-8 |
ISBN |
4-8122-1819-8 |
数量 |
7,175,3p |
大きさ |
21cm |
分類記号 |
519
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件名 |
環境倫理
東日本大震災(2011)
福島第一原子力発電所事故(2011)
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注記 |
文献:p165〜170 |
内容紹介 |
3.11の深刻な被害に向き合ったとき、倫理学の視点も大きな転換を迫られた。未来の世代へ我々が果たすべきこととは何か? 原爆投下の問題も絡めつつ、歴史問題も含めた世代間倫理を模索する。「環境倫理学入門」の続編。 |
著者紹介 |
東北大学大学院文学研究科博士課程修了。日本大学教授。著書に「環境倫理学入門」など。 |
目次タイトル |
序章 |
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3・11以前と以後の変化 風景化論-旧著の目論み 風景化論に残された課題 風景化論から世代間倫理へ 世代間倫理と神話論 本書の構成 |
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第一部 環境倫理から世代間倫理へ |
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第一章 ゼロ年代における環境思想研究の新たな展開 |
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はじめに グローバリズムとローカリティ-九〇年代の構図 自然倫理学と美的議論への着目-ドイツ環境思想の展開 プラグマティズムへの接近-ゼロ年代における加藤・鬼頭の転回 多文化主義の環境哲学へ-キャリコットの『地球の洞察』 社会的責任の倫理学-今後の環境倫理学 何を将来世代に引き継ぐのか-サステイナビリティ概念の地平 |
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第二章 ゼール『自然美学』の倫理学的位置づけ |
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はじめに 美的議論とは何か-クレプスによるゼールの位置づけ 観照的、照応的、想像的-『自然美学』の三つの様相 照応的様相と雰囲気-ベーメとの差異 生活世界の意味の刷新-想像的様相との分岐と肯定的偶発性の解釈 生活形式の倫理学-一般的倫理学の構想 風景化論との接点-むすびにかえて |
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第三章 社会技術論からみた科学技術社会論 |
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はじめに 社会的問題の解決-科学技術社会論の課題 社会技術の対象について 科学者と市民社会の妥当性境界 公共政策と社会技術論 責任問題を曖昧にする科学技術社会論 科学・技術・社会の不均衡な展開 一〇万年後に放射性物質が漏れ出しても安全な技術 |
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第二部 世代間倫理の深化 |
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第四章 3・11以降の弁神論的思考とシェリング |
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はじめに 「自律のテーゼ」から帰結する弁神論 「脱悪化」のロジック 「根源悪」の視点 ヨーナスとシェリングの神話論 第二の原罪と世代間倫理 二一世紀の弁神論の可能性-むすびにかえて |
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第五章 「ナガサキ」から「フクシマ」へ |
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はじめに カトリック信者としての立場と広島との距離-長崎市長としての原点 「天皇の戦争責任」発言の波紋 原爆投下を「赦す」ことの背景 いわゆる「浦上燔祭説」について 父の骨と猫の骨-原爆投下の「非人間性」について アンダースの「羞恥の哲学」 「恥じらい」から「賛美」へ-「浦上燔祭説」の再検討 「ナガサキ」から「フクシマ」へ-むすびにかえて |
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第六章 「気づかう神」の世代間倫理 |
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はじめに ヨーナス受容の現況 存在と非存在のあいだとしての自由-『生命の哲学』 乳飲み子への責任-『責任という原理』 神の全能性の否定-「アウシュヴィッツ以後の神概念」 自己放棄する神-「宇宙論生成論的推測」 決断-「不死性とこんにちの実存」 「神の像」から見られた未来世代への倫理 |
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第三部 近接領域との対話 |
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第七章 進化するファシリテーター |
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はじめに 「ただ傍らにあるということ」の問題点 3・11と民主主義 空前のニーチェ・ブーム-哲学とJポップをつなぐもの 参加者に「より沿う力」 哲学を「してしまう」ワークショップ-むすびにかえて |
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第八章 記憶のエンターテインメント化は避けられないのか |
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問題設定 ノーモア・関ケ原-古市憲寿の世界の「戦争博物館」めぐり ダークツーリズムとは何か 「忘れやすく」「軽薄な」人間-東の「観光地化計画」 「風景の倫理学」から「記憶の倫理学」へ |