タイトルコード |
1000101061210 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
演能空間の詩学 |
書名ヨミ |
エンノウ クウカン ノ シガク |
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<名>を得ること、もしくは「演技する身体」のパフォーマティブ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
深沢 徹/著
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著者名ヨミ |
フカザワ トオル |
出版地 |
東京 |
出版者 |
武蔵野書院
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出版年月 |
2023.3 |
本体価格 |
¥3000 |
ISBN |
978-4-8386-1005-1 |
ISBN |
4-8386-1005-1 |
数量 |
316,7p |
大きさ |
19cm |
分類記号 |
910.4
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件名 |
日本文学
能楽
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内容紹介 |
固有名を持たない敵だから殺せるのなら、敵を殺さないためにどのようにしたら、固有の<名>と<顔>を得たり与えたりすることができるのか。「紫式部日記」、能や狂言を題材とした自己言及のはたらきに、その可能性を見る。 |
著者紹介 |
神奈川県生まれ。神奈川大学教授。著書に「日本古典文学は、如何にして<古典>たりうるか?」「「この国のかたち」を求めて」など。 |
目次タイトル |
第Ⅰ章 問題の所在-テキストの「内」と「外」、もしくは『紫式部日記』に見る自己言及表現の行為遂行機能- |
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一 「こそあど」構文のパフォーマティブ 二 編纂の果実としての『紫式部日記』 三 人称表現のパフォーマンス 四 「ちょうつがい」としての自己言及 五 メタ・フィクション論の地平 六 西洋リアリズム演劇と「第四の壁」 |
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第Ⅱ章 真実から三番目に遠く離れて-「源氏能」に見る、「歓待」の作法としての「名指し」と「名告り」- |
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問題の所在-「ウソ」に「ウソ」を重ねたまがいもの? 一 「歓待」の作法としての固有名への呼びかけ 二 「源氏能」の諸相(夕顔、半蔀、葵上、野宮、須磨源氏、住吉詣、玉鬘、浮舟、源氏供養) 三 <他者>の先行、あるいは対面的な<場>の「二人称」 四 「ミメーシス」に「ミメーシス」を重ねるとはどういうことか? |
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第Ⅲ章 はじめに「二人称」があった-「第四の壁」のへだて、もしくは独我論のくびきからの解き放たれ- |
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問題の所在-演劇の<場>における「作者」の<死> 一 パルマコンとしての「四人称」 二 演劇のことばのアイロニー 三 「事実をもって語らせる」ことなどできるのか? 四 演劇の<場>における人称表現の多面的複合形態 |
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第Ⅳ章 かたらう「能」と、かたどる「狂言」-演能の<場>における、「アイ(間)」のはたらきをめぐって- |
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問題の所在-かたどりVSかたらい 一 主客二元論のくびき 二 熱くうたう「能」、あるいは<同化>の眩惑 三 <異化>の覚醒、あるいは冷たくかたる「狂言」 四 アレゴリーと異化効果 付論 「義経もの」にみるアイ(間)の「かたり」の諸相(鞍馬天狗、烏帽子折、熊坂、橋弁慶、正尊、船弁慶、二人静、安宅) |
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第Ⅴ章 きつねたちは、なにもので、どこからきて、どこへいくのか?-<名>を得ること、もしくは「演技する身体」の行為遂行機能- |
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問題の所在-「固有名」の翻訳不可能性と、演劇の<場>におけるその「再現」 一 都市伝説-幼年期のきつねたち 二 上書きされる系譜-「震旦きつね」の飛来 三 白魔術VS黒魔術-「天竺きつね」の到来 四 在地(ヒナ)との出会い(一)-「玉藻の前」の場合 五 在地(ヒナ)との出会い(二)-恨み「葛の葉」の場合 六 「演技する身体」の行為遂行機能 七 ミミクリ-変換装置としての『殺生石』、そして『釣狐』 八 ミメーシス-変換装置としての『三輪』、そして『翁』 |
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終章 民主の<かたり>-三谷邦明が源氏物語研究に遺したもの- |
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はじめに-抜き取られた「躾糸」 一 躾糸としての「固有名」 二 いくつもの可能世界を拓く「固有名」 三 架空(ニセ)の「固有名」のあつかいをめぐって 四 方法としての「カテゴリー・ミステイク」 五 三谷邦明における「形而上学」の復権 六 「躾糸」のパフォーマンス |