タイトルコード |
1000101234810 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
日々賭けをする人々 |
書名ヨミ |
ヒビ カケ オ スル ヒトビト |
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フィリピン闘鶏と数字くじの意味世界 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
師田 史子/著
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著者名ヨミ |
モロタ フミコ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
慶應義塾大学出版会
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出版年月 |
2025.3 |
本体価格 |
¥5400 |
ISBN |
978-4-7664-3014-1 |
ISBN |
4-7664-3014-1 |
数量 |
7,354,20p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
797
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件名 |
賭博
フィリピン-風俗
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注記 |
文献:巻末p7〜20 |
内容紹介 |
フィリピンにおいて賭博は、社会のあらゆる階層に深く埋め込まれている。フィリピン社会の日常的な賭博実践、とりわけ闘鶏と数字くじに注目し、日々賭け続ける賭博者たちの姿を鮮やかに描き出す。 |
著者紹介 |
神奈川県生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教。博士(地域研究)。 |
目次タイトル |
序章 彩色の精神 |
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1 なぜ、賭博なのか-日々をあやなすということ 2 どのように賭博を論じるのか-日常をアクティベートさせる賭け 3 どうやって賭博を捉えるのか-浮かんでは消える事物、賭けが放たれる先 4 本書の展開 |
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第Ⅰ部 賭博が根差す場、その基層 |
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第1章 賭博との出会い、フィールドワークの輪郭 |
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1 四つの調査地と家族たち 2 ミンダナオをいかに論じるのか 3 調査の内実 |
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第2章 フィリピン賭博の歴史 |
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1 国家と賭博 2 植民地主義による賭博の規制・管理・制度化 3 国家に庇護される賭博産業の成立 4 違法賭博と国家の共謀 5 加速する国家の賭博胴元化 |
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第3章 規律訓練されない賭博者たち |
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1 法が善悪を定めるのか-数字くじ合法化「以前」と「以後」 2 行使される公権力、恐れる/恐れない/憤る人々 3 違法運営の崩壊と維持 |
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第4章 善悪と神 |
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1 善い賭博、悪い賭博 2 日常的賭博実践における善悪の境界線 3 善き状態をあらわす分かち合い「バラト」 4 何が幸運をもたらすのか-賭博における神 |
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第Ⅱ部 闘鶏-人間と鶏が織りなす伝統的熱狂の円環とリズム |
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第5章 闘鶏のエコノミー-鶏と関係を結び、鶏に生活を賭ける人々 |
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1 フィリピンの闘鶏-産業化されたナショナル・スポーツ兼賭博 2 闘鶏を解釈の道具から解放する 3 闘鶏の仕組みと諸アクター 4 鶏と関係を結び、鶏に生活を賭ける人々 5 「蹴爪をつけるための鶏」の生涯 6 「戦士」から「食用」へ-闘鶏場の一日 7 ポリティクスではなくエコノミー-人間-鶏関係再考 |
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第6章 充満する「負けの理由」-鶏に賭ける技法と不運の制御 |
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1 闘鶏場を沸騰させる賭けの熱狂 2 トラビシヤの賭けの技法 3 鶏を選択し賭けを決断する知 4 闘鶏場の反復的時間と賭けのリズム 5 前景化する不運 6 「わからない」現実と賭けの不運-鶏が他者として浮かび上がるとき |
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第Ⅲ部 数字くじ-無根拠性の内に増殖する自己と世界の接続 |
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第7章 つまらない賭博への没頭-数字で世界を埋め尽くす |
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1 つまらない賭博、数字くじ 2 「人はなぜ賭けるのか」をめぐる応答 3 遊戯の面白さと没頭 4 ラストトゥーの日常 5 数字を予想し、解釈する 6 数字で世界を埋め尽くし、偶然性に深入りする 7 世界の謎を解き、幸運を狩りたてる |
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第8章 確率的思考の流転と現実性への接近-異なるレイヤーを往還する |
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1 当たらないとわかっている、けれど賭ける 2 確率的思考 3 賭博における確率的思考と認知バイアス 4 確率的存在としての賭博 5 確率的思考の流転 6 現実性への肉薄 |
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終章 意味に満ち満ちた世界 |
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1 賭博者の世界 2 醸成する運の観念、自らの側に引き寄せる世界 3 創出する特異的現在、先鋭化する現実 4 現実に驚く 5 賭博者的な生 |