タイトルコード |
1000101142500 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
小津安二郎はなぜ「日本的」なのか |
書名ヨミ |
オズ ヤスジロウ ワ ナゼ ニホンテキ ナノカ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
具 慧原/著
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著者名ヨミ |
グ ケイゲン |
出版地 |
東京 |
出版者 |
水声社
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出版年月 |
2024.3 |
本体価格 |
¥6000 |
ISBN |
978-4-8010-0799-4 |
ISBN |
4-8010-0799-4 |
数量 |
371p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
778.21
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個人件名 |
小津 安二郎 |
注記 |
文献:p343〜367 |
内容紹介 |
小津安二郎の映画作品につきまとう「日本的」という形容詞は、いつ誰によって、どのような意図で発せられたのか。作品をめぐる国内外の言説を精査し、小津映画の「日本的なもの」の多重性を明らかにし、その核心に迫る。 |
著者紹介 |
韓国釜山生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。釜山大学映画研究所専任研究員。 |
目次タイトル |
序章 |
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1 研究目的 2 先行研究における不足点 3 本書の構成 |
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第一部 「日本的なもの」の形成 |
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第一章 「日本的」映画の成立と小津映画の役割 |
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1 「日本/西洋」という二項対立 2 アメリカ映画からの影響-モダンな日本表象としての小津映画 3 「日本的なもの」への転向 結び |
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第二章 「伝統的なもの」から「日本人らしさ」へ |
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1 優れた日本映画の「日本的」傾向に組み込まれて 2 小津論における「日本的なもの」 3 戦時体制とその影響 4 『父ありき』(一九四二)と国民映画としての「日本的なもの」 結び |
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第二部 戦後の議論 |
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第三章 「最も日本的な監督」としての定着 |
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1 社会的問題に取り組む映画への期待 2 『晩春』から始まる戦後の「日本的なもの」の議論 3 「日本的」と否定される二つの傾向 4 小津映画に対する「日本的」という評価の内向性 結び |
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第四章 「古い伝統」の象徴的存在 |
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1 「倒すべき伝統像」としての小津 2 「日本的なもの」の議論における三つの流れ 3 「俳句」という解釈 4 海外での小津受容の始まり 結び |
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第三部 ローカルな議論を越えて |
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第五章 一九七〇年代のアメリカにおける文化論的解釈 |
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1 西洋における初期の小津受容-一九五〇年代後半から一九六〇年代まで 2 ポール・シュレイダー-超越的スタイルと「壺のショット」 3 ドナルド・リチー-禅の無と「壺のショット」 4 ノエル・バーチ-「枕ショット」 結び |
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第六章 一九八〇年代における「日本的なもの」の転覆 |
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1 日本における文化論的解釈への反論-蓮實重彦の主題論的アプローチ 2 アメリカにおける文化論的解釈への反論-フォーマリズム的アプローチから 結び |
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終章 |