タイトルコード |
1000100943448 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
文学と戦争 |
書名ヨミ |
ブンガク ト センソウ |
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言説分析から考える昭和一〇年代の文学場 |
叢書名 |
ひつじ研究叢書
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叢書番号 |
文学編13 |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
松本 和也/著
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著者名ヨミ |
マツモト カツヤ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
ひつじ書房
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出版年月 |
2021.11 |
本体価格 |
¥7000 |
ISBN |
978-4-8234-1103-8 |
ISBN |
4-8234-1103-8 |
数量 |
11,578p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
910.263
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件名 |
日本文学-歴史-昭和時代
日中戦争(1937〜1945)
太平洋戦争(1941〜1945)
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内容紹介 |
文学は戦争にどのように関わったのか。戦争に対する文学者の態度/葛藤は。膨大な同時代言説の分析から昭和10年代の多彩な文学シーンを浮かび上がらせ、複雑な文学活動-現象を実証的に論じる。 |
著者紹介 |
1974年茨城県生まれ。立教大学大学院文学研究科修了。博士(文学)。神奈川大学国際日本学部教授。著書に「昭和十年前後の太宰治」「現代女性作家の方法」など。 |
目次タイトル |
序 昭和一〇年代文学を考え直すために-研究対象・問題領域・方法論 |
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一 研究対象としての昭和一〇年代 二 問題領域としての昭和一〇年代文学 三 昭和一〇年代文学における抵抗 四 方法論としての言説分析-文学場 |
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第Ⅰ部 昭和一〇年代をみわたす |
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第1章 現在進行形の文学場の実況放送-文芸時評という装置の消長 |
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一 再発見される文芸時評 二 文芸時評の制度疲労/打開策 三 維持-継続されていく文芸時評 四 太平洋戦争開戦後の文芸時評 |
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第2章 純文学作家にとっての新聞小説-通俗性・芸術性・社会性 |
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一 純文学作家による新聞小説の再発見 二 新聞読者(層)の変容と純文学作家の思惑 三 新聞小説における社会性 四 戦時下における新聞の役割と新聞小説の隘路 |
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第3章 繰り返される<ヒューマニズム>ブーム-転位する意味内容 |
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一 文学史上の<ヒューマニズム> 二 昭和一一年の<ヒューマニズム>ブームと言説構造 三 日中戦争開戦後の<ヒューマニズム>と戦争文学 四 太平洋戦争開戦後の<ヒューマニズム>と新しい人間 |
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第4章 戦争の時代における詩的精神のゆくえ-立原道造「鮎の歌」を手がかりとして |
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一 抒情詩人・立原道造の詩的精神 二 詩的精神をめぐる議論 三 立原道造「鮎の歌」の同時代受容 四 軍歌の時代の詩的精神 |
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第5章 日中戦争期に魯迅はどう読まれたか-追悼特集・全集刊行・小田嶽夫 |
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一 日本での魯迅紹介 二 魯迅の死と追悼言説 三 多様な魯迅評価 四 小田嶽夫による魯迅紹介 |
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第6章 「国民文学」とは何かを問うこと-文学場のインターフェイス |
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一 曖昧な国民文学(論) 二 昭和一二年の国民文学論ブーム 三 昭和一〇年代半ばの国民文学論ブーム 四 太平洋戦争開戦後の国民文学論 |
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第Ⅱ部 昭和一〇年代前半の諸局面 |
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第7章 横光利一「純粋小説論」の読み方-社会性という論点 |
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一 「純粋小説論」へのアプローチ 二 「純粋小説論」の波紋 三 拡散される「純粋小説論」理解 四 「純粋小説論」が提示する社会性 五 書物と化していく「純粋小説」 |
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第8章 文化工作-建設戦としての文学-上田廣「黄塵」 |
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一 戦争文学への期待と上田廣 二 上田廣が戦地で書いた小説「鮑慶郷」 三 上田廣が戦地で書いた報告「黄塵」 四 日中戦争開戦後の文化工作-建設戦 |
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第9章 “道”を目指す武蔵/兵士/国民-吉川英治「宮本武蔵」 |
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一 求道精神を体現する宮本武蔵 二 意味づけられていく「宮本武蔵」 三 「宮本武蔵」の同時代受容分析 |
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第10章 転向作家が書く満洲移民-徳永直「先遣隊」 |
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一 転向作家・徳永直とモチーフとしての満洲 二 満洲文学への期待 三 「先遣隊」の同時代受容分析 四 文化工作としての満洲移民-「先遣隊」 |
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第11章 日中戦争期における中国現代文学の翻訳-林語堂Moment in Peking |
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一 日中戦争期における中国への関心 二 林語堂の重要性 三 三種類のMoment in Peking翻訳 四 中国理解のための概説書としてのMoment in Peking |
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第12章 可視化された文化統制-文芸雑誌『新風』をめぐる軌跡/言説 |
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一 出版統制と文芸雑誌『新風』 二 『新風』創刊まで 三 『新風』創刊即廃刊の衝撃 四 文化統制のバロメーターとしての『新風』廃刊 |
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第Ⅲ部 昭和一〇年代後半の諸局面 |
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第13章 戦時下に文学の「非力」を語ること-高見順「文学非力説」 |
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一 高見順の蘭印体験と「文学非力説」 二 「文学非力説」論議の展開と同時代受容 三 多重化される言表/受容の回路 四 「文学非力説」論議の余波 |
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第14章 太平洋戦争の感動を書く新しい私小説-太宰治「新郎」・丹羽文雄「海戦」 |
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一 太宰治「新郎」への批判 二 太平洋戦争開戦後の新しい私小説 三 新しい私小説の隆盛 四 丹羽文雄「海戦」への評価 |
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第15章 太平洋戦争開戦を振り返る新聞小説-岩田豊雄「海軍」 |
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一 モチーフとしての九軍神 二 「海軍」の語り手と新聞記事との連携 三 「海軍」の同時代受容分析 |
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第16章 帰還した南方徴用作家はどう読まれたか-尾崎士郎「朝暮兵」・火野葦平「敵将軍」 |
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一 南方徴用作家(研究)の重要性 二 帰還作家の発言・作品とその受容 三 尾崎士郎「朝暮兵」・火野葦平「敵将軍」の同時代受容分析 四 文学者による文化工作 |
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第17章 移動演劇の作劇術-岸田國士「かへらじと」 |
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一 移動演劇(作品)への評価 二 「かへらじと」の同時代受容分析 三 「かへらじと」における立派な死 四 空所を活かした作劇術 |
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第18章 文学者はアッツ島玉砕をどう言語化したか-韻文・散文・太宰治「散華」 |
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一 モチーフとしてのアッツ島玉砕 二 韻文としてのアッツ島玉砕表象 三 散文(ノンフィクション)としてのアッツ島玉砕表象 四 散文(フィクション)としてのアッツ島玉砕表象 五 アッツ島玉砕表象としての太宰治「散華」 |
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結 課題と展望 |