タイトルコード |
1000100747485 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
疎開体験の戦後文化史 |
書名ヨミ |
ソカイ タイケン ノ センゴ ブンカシ |
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帰ラレマセン、勝ツマデハ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
李 承俊/著
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著者名ヨミ |
リ ショウシュン |
出版地 |
東京 |
出版者 |
青弓社
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出版年月 |
2019.9 |
本体価格 |
¥3600 |
ISBN |
978-4-7872-2084-4 |
ISBN |
4-7872-2084-4 |
数量 |
311p |
大きさ |
20cm |
分類記号 |
210.75
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件名 |
太平洋戦争(1941〜1945)
学童疎開
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内容紹介 |
避難ではなく疎開と呼ばれた銃後の人口移動政策。敗戦後の文学はそれをどのように語り、位置付けてきたか。柳田国男、太宰治、「内向の世代」のテクストや映画を糸口に、銃後の記憶を抱え戦後を生きた人々の思いを照らし出す。 |
著者紹介 |
1982年韓国生まれ。名古屋大学大学院文学研究科人文学専攻博士課程修了。博士(文学)。愛知学院大学教養部非常勤講師。専攻は日本近現代文学、文化史。 |
目次タイトル |
序章 いま、疎開を考えることは |
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1 疎開って何? 2 二〇一〇年代、戦闘なき戦争映画 3 疎開体験をさかのぼる |
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第1部 戦争を体験する疎開 |
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第1章 「昭和の楠公父子」になるために |
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1 急遽断行される疎開 2 「学童疎開問答」と「桜井駅の別れ」 3 受け継がれる「志」 4 七生報国の「本義」 5 学童集団疎開の「本義」 |
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第2章 もう一度、空襲と疎開を |
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1 空襲の「証言」、疎開の「証言」 2 戦争体験としての空襲体験 3 空襲から疎開へ 4 戦争体験としての疎開体験は? 5 体験の捉え方の相違 6 あってはならない相違 7 一元化の欲望 |
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第3章 戦中派と戦後派のはざまで |
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1 かつて疎開派があった 2 疎開派が立ち上がる 3 疎開派が走りだす 4 疎開派がつまずく 5 疎開派を引き上げる |
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第2部 戦争を体験しない疎開 |
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第4章 悔恨ではなく、内向する世代の疎開 |
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1 「悔恨共同体」と「内向の世代」 2 失敗から定位される「内向」 3 「自己の空位」に触れ合う労働実験 4 「内向」と「世代」の交差 5 「自己の空位」と対決して 6 「自己批判」を相対化する「自己」 |
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第5章 「不確かな私」のために召喚される疎開体験 |
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1 「北の河」と他者の死 2 疎開派か、「内向の世代」か 3 「内向の世代」文学の「北の河」 4 戦争体験と「わだつみの声のない世代」 5 「私」の疎開体験を凝視する |
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第6章 疎開体験者の特別な「一証言」 |
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1 想像力を動かす余地がない小説 2 加害者を抱き締めて 3 被害者の「一証言」 4 現代につなげる 5 一個人の体験の重み 6 いまに、未来に想像力を |
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第3部 <田舎と都会>をさまよう疎開 |
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第7章 暴き出される疎開と田舎 |
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1 社会派作家の文法 2 報道される戦争と疎開 3 記録される疎開/記録されない疎開 4 石川達三の「歴史」と「記録性」 5 疎開から田舎の「真実」を暴き出す 6 <田舎と都会>を考える |
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第8章 東京がら疎開すて来だ「津軽人」が言ってまった… |
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1 太宰治の「疎開文学」 2 発見される出自、「津軽人」 3 旅人ではなく疎開者として 4 疎開体験の語りにくさ 5 田舎ありきの都会/都会ありきの田舎 |
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第9章 疎開を読み替える |
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1 二〇一〇年代の疎開の記憶、その所在は? 2 われらの戦争体験、子どもの戦争体験 3 われらの出会い、<田舎と都会>の出合い 4 私と戦争、私と田舎 |