千葉県にゆかりのある人物

図書館では、千葉県に関するさまざまな質問をいただきますが、千葉県にゆかりのある人物についてもたくさん問い合わせをいただきます。

そこで、千葉県立中央図書館では、平成25年度千葉県公共図書館協会児童サービススキルアップ研修会で作成したブックリストを元に、千葉県にゆかりのある人物34人のブックリストを作成しました。

ご利用方法

  • よく質問される千葉県にゆかりのある人物34人について、その人物の情報が書かれている児童資料等を、対象順(小学低=小学校低学年、小学中=小学校中学年、小学高=小学校高学年、中学生、一般、同対象の中は出版年順)に掲載しています。
  • リストには小中学生から読める資料を選択して掲載しています。
  • 掲載にあたって、2014年から2017年に出版された本を追加しました。
  • 対象はおおよその目安です。
  • 県立図書館がもっていない資料の情報もあります。県立図書館にない資料は、国立国会図書館の情報にリンクしています。
  • 国立国会図書館も所蔵していない資料は、千葉県内図書館横断検索で検索してみてください。
  • 県立図書館がもっているものはお近くの図書館・読書施設を通じて取り寄せもできます。御不明の点は県立図書館までお問合せください。
    図書館・読書施設の一覧はこちら
青木昆陽(あおきこんよう)
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浅井忠(あさいちゅう)
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新井白石(あらいはくせき)
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石川倉次(いしかわくらじ)
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市川団十郎・初代(いちかわだんじゅうろう・しょだい)
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伊藤左千夫(いとうさちお)
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伊能忠敬(いのうただたか)
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近江屋甚兵衛(おうみやじんべえ)
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大賀一郎(おおがいちろう)
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大原幽学(おおはらゆうがく)
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岡田武松(おかだたけまつ)
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荻生徂徠(おぎゅうそらい)
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金谷総蔵(かなやそうぞう)
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国木田独歩(くにきだどっぽ)
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佐倉惣五郎(さくらそうごろう)
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佐藤志津(さとうしづ)
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佐藤泰然(さとうたいぜん)
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佐藤信淵(さとうのぶひろ)
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柴原和(しばはらやわら)
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鈴木貫太郎(すずきかんたろう)
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関寛斎(せきかんさい)
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染谷源右衛門(そめやげんえもん)
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武志伊八郎信由(たけしいはちろうのぶよし)
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田中玄蕃(たなかげんば)
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千葉常胤(ちばつねたね)
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津田梅子(つだうめこ)
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鉄牛和尚(てつぎゅうおしょう)
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長嶋茂雄(ながしましげお)
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日蓮(にちれん)
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菱川師宣(ひしかわもろのぶ)
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堀田正睦(ほったまさよし)
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間宮七郎平(まみやしちろうべい)
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安井理民(やすいはるたみ)
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柳田國男(やなぎたくにお)
柳田國男リストへのリンク 柳田國男紹介へのリンク

千葉県にゆかりのある人物について

千葉県にゆかりのある人物34人について、それぞれの主な活躍などをまとめました。
もっと詳しい情報を知りたいときは、それぞれの人物に関するブックリストの本をご覧ください。

☆生まれ・出生地・主な活躍・ゆかりの地などについて

生年月日/没年月日・・・出典をもとに、わかった範囲の情報をのせています。月日が不明の場合は、年のみのせています。
出生地・・・「旧地名(現:都道府県名)」でのせています。(例)江戸日本橋(東京都)

☆出典について

出典にのっている本は、千葉県立図書館に所蔵しています。
データベースやインターネット情報の最終確認日は、2020年11月29日です。



人物名

生まれ・出生地・主な活躍・ゆかりの地など

出典

1

青木 昆陽
(あおき こんよう)

1698年6月19日~1769年11月9日
江戸日本橋(現:東京都中央区)生まれ
8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)にサツマイモの栽培を命じられ、小石川(こいしかわ)植物園、千葉市花見川区幕張、九十九里町で試作し、普及を図った。甘藷(かんしょ)先生と呼ばれる。
幕張町に昆陽神社が、九十九里町に関東地方甘藷栽培発祥の地(かんしょさいばいはっしょうのち)の碑(ひ)がある。
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981) 
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
データベース「ジャパンナレッジLib」

2

浅井 忠
(あさい ちゅう)

1856年7月22日~1907年12月16日
下総国佐倉藩(さくらはん)の江戸屋敷(現:東京都)生まれ
7歳で父が亡くなり、母と佐倉に帰って家を継いだ。
日本初の洋画団体「明治美術会(めいじびじゅつかい)」を設立。フランス留学から帰国後は「関西美術院(かんさいびじゅついん)」を創立し、洋画を広めた。作品に、「収穫」「グレーの橋」などがある。
佐倉市立美術館・千葉県立美術館に銅像がある。
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
データベース「ジャパンナレッジLib」

3

新井 白石
(あらい はくせき)

1657年2月10日~1725年5月19日
江戸(現:東京都)生まれ
父は、上総国久留里藩(くるりはん)(現:君津市)の藩士(はんし)。
儒学者(じゅがくしゃ)である木下順庵(きのしたじゅんあん)の弟子となる。江戸幕府第6代将軍徳川家宣(いえのぶ)に家臣(かしん)として登用され、正徳の治(しょうとくのち)とよばれる政治を主導した。
自伝『折たく柴の記(おりたくしばのき)』が有名。
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
データベース「ジャパンナレッジLib」

4

石川 倉治
(いしかわ くらじ)

1859年2月28日~1944年12月23日
浜松藩(はままつはん)(現:静岡県浜松市)生まれ
家族で上総国に移り住み、鶴舞小学校(現:市原市)に通う。
千葉県で小学校教師を務めた後、東京盲唖(もうあ)学校助教諭となる。
アルファベット用の6点点字を改良し、日本式の点字「日本訓盲(くんもう)点字」を考案した。点字器や点字タイプライターも開発。「日本点字の父」とたたえられている。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
『点字はじめの一歩 1 点字のれきし』(黒崎 惠津子 文、汐文社、2018)
『闇を照らす六つの星 日本点字の父石川倉次』(小倉 明 著、汐文社、2012)
データベース「ジャパンナレッジLib」

5

市川 團十郎・初代
(いちかわ だんじゅうろう・しょだい)

1660年~1704年3月24日
江戸(現:東京都)生まれ
父は、下総国(しもうさのくに)埴生郡(はぶごおり)幡谷村(はたやむら)(現:成田市幡谷)の出身。
上方(京都・大坂)の坂田藤十郎(さかたとうじゅうろう)とならび称された、元禄歌舞伎(げんろくかぶき)を代表する江戸の役者で、歌舞伎を確立させた。屋号は成田屋。立役(たちやく)を得意とし、荒事(あらごと)芸を歌舞伎に導入した。
44歳の時、市村座(いちむらざ)の「わたまし十二段」に出演中、弟子の生島半六(いくしまはんろく)に刺されて亡くなる。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
データベース「ジャパンナレッジLib」

6

伊藤 左千夫
(いとう さちお)

1864年8月18日~1913年7月30日
成東町(現:山武市)生まれ
明治時代に活躍した、アララギ派の歌人・作家。大学に入るが、眼の病のため退学する。35歳で正岡子規(まさおかしき)の弟子となった。39歳で『馬酔木(あしび)』創刊、42歳で『野菊の墓(のぎくのはか)』を著し、44歳で『アララギ』を創刊する。
山武市成東に「歌人伊藤左千夫の生家」がある。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
千葉県教育委員会「歌人伊藤左千夫の生家」
千葉県公式観光情報サイト「まるごとe!ちば」より「歌人伊藤左千夫の生家」
データベース「ジャパンナレッジLib」

7

伊能 忠敬
(いのう ただたか)

1745年1月11日~1818年
上総国山辺郡(やまべぐん)小関村(こせきむら)(現:九十九里町)生まれ
江戸時代後期の測量家。初めて実測による日本地図を完成させた。
55歳で蝦夷地(えぞち)の測量に出かけ、以後17年間にわたり全国を測量して歩く。死後、1821年に『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』が完成した。
九十九里町小関に伊能忠敬記念公園が、香取市佐原に伊能忠敬記念館と伊能忠敬旧宅がある。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
千葉県公式観光情報サイト「まるごとe!ちば」より「伊能忠敬記念公園」「伊能忠敬記念館」「佐原の町並み」
伊能忠敬記念館ホームページ
データベース「ジャパンナレッジLib」

8

近江屋 甚兵衛
(おうみや じんべえ)

1766年~1844年9月11日
江戸の四谷(よつや)(現:東京都新宿区)生まれ
海苔(のり)の養殖と製造法に力を尽くした、上総海苔(かずさのり)の開祖。
君津市漁業資料館に海苔養殖資料や業績の展示が、また君津市人見(ひとみ)の青蓮寺(しょうれんじ)の敷地内に墓地がある。
『郷土歴史人物事典 千葉』(高橋 在久 編著、第一法規、1980)
『わたしたちの君津市』(君津市教育委員会、2010)
千葉県教育委員会「近江屋甚兵衛墓」
データベース「ジャパンナレッジLib」

9

大賀 一郎
(おおが いちろう)

1883年4月28日~1965年6月15日
岡山県生まれ
1951年、千葉市の落合遺跡(おちあいいせき)で今から2,000年以上前のハスの実を見つけ、芽を出すことに成功。
大賀ハスと名付けられ、ハスの研究で理学博士(りがくはくし)になる。
著作に「ハスと共に六十年」などがある。
『わたしたちの千葉市』(千葉市教育委員会、2019)
『千葉の理科ものがたり』(「千葉の理科ものがたり」刊行委員会 編、日本標準、1981)
データベース「ジャパンナレッジLib」

10

大原 幽学
(おおはら ゆうがく)

1797年3月17日~1858年3月8日
尾張藩(おわりはん)(現:愛知県)生まれ
下総国(しもうさのくに)長部村(ながべむら)(現:旭市)を中心に、道徳と経済の調和を基本とした「性学(せいがく)」を説いた。
農業協同組合を世界で初めて作り、農村改革につくした人物。
旭市に大原幽学記念館がある。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
『ふるさと歴史マンガ 大原幽学』(旭市教育委員会生涯学習課、2014)
大原幽学記念館ホームページ

11

岡田 武松
(おかだ たけまつ)

1874年8月17日~1956年9月2日
我孫子市生まれ
中央気象台(現気象庁)に入り、予報課長として日露戦争日本海海戦時の気象予報を担当。
当時、利根川の水害が多発。
人々を洪水から救いたいという思いから、防災科学や気象学に関心を寄せる。
気象事業の発展に尽くした、近代気象学の開発者。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『ふるさと我孫子の先人たち』(我孫子市教育委員会教育総務部指導課 編集、我孫子市教育委員会、2016)
データベース「ジャパンナレッジLib」

12

荻生 徂徠
(おぎゅう そらい)

1666年2月16日~1728年1月19日
江戸(現:東京都)生まれ
徳川綱吉(つなよし)に儒学(じゅがく)を講義。
儒学の一派である古文辞学(こぶんじがく)を確立。
道徳よりもむしろ客観的な秩序を重視する政治論に重きを置く。
上総国(かずさのくに)(現:千葉県中部)に?園塾(けんえんじゅく)を開いた。
晩年は徳川吉宗に重用され、幕府政治の改革を説いた。
『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
『教科書にでる人物学習事典2』(学研、1998)
本居宣長記念館「荻生徂徠」
データベース「ジャパンナレッジLib」

13

金谷 総蔵
(かなや そうぞう)

1845年~1892年1月31日
匝瑳郡(そうさぐん)鎌数村(かまかずむら)(現:旭市)生まれ
作物の育ちにくい地質だった千葉県でも栽培できる作物がないか探り、下総台地(しもうさだいち)での落花生栽培・普及に力を尽くした農業指導者。

『ポプラディアプラス人物事典1』(ポプラ社、2017)
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『教科書にでる人物学習事典2』(学研、1998)

14

国木田 独歩
(くにきだ どっぽ)

1871年8月30日~1908年6月23日
銚子市生まれ
新聞記者として活躍するかたわら、小説を書いた。
『武蔵野(むさしの)』(現在の渋谷あたりの風物をかいた随筆(ずいひつ))などの浪漫(ろうまん)的な短編小説をかいた明治の文学者。
「なつかしき わが故郷は何処ぞや 彼処にわれ 山林の児なり」という、独歩の文学碑(ぶんがくひ)が銚子市にある。

『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『教科書にでる人物学習事典2』(学研、1998)
データベース「ジャパンナレッジLib」

15

佐倉 惣五郎
(さくら そうごろう)

生没年不詳
下総国印旛郡(いんばぐん)公津村(こうづむら)(現:成田市)生まれ
宗五郎、宗吾ともいう。本名は木内(きうち)惣五郎。
江戸時代前期の名主(なぬし)。農民の代表として、重い年貢の取り立てを軽くするように藩主に願い出たが、聞き入れられなかったため、四代将軍徳川家綱(いえつな)まで直訴(じきそ)した。当時、直訴は大罪だったので、妻と4人の子どもとともに処刑された。死後、歌舞伎の演目に取り上げられて、村を助けようとした義民(ぎみん)として広く知られるようになった。
『ポプラディアプラス人物事典2』(ポプラ社、2017)
『史跡と人物でつづる千葉県の歴史』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1986)
『21世紀こども人物館』(小学館、1993)

16

佐藤 志津
(さとう しづ)

1851年5月11日~1919年3月17日
常陸国(ひたちのくに)行方郡(なめがたぐん)麻生(あそう)(現:茨城県行方市)生まれ
江戸時代後期、佐倉順天堂(じゅんてんどう)の佐藤尚中(たかなか)の長女として生まれ、漢学(かんがく)を学び、教養を身につける。明治時代には女性の社会進出、女子教育に貢献(こうけん)し、私立女子美術学校(現・女子美術大学)の第2代校長となった。
『佐倉市郷土の先覚者 シリーズ小事典 1』(佐倉市教育委員会 編集、佐倉市教育委員会、2001)
佐倉市「佐倉順天堂に関わった人物たち」
『日本人名大辞典』(講談社、2001)

17

佐藤 泰然
(さとう たいぜん)

1804年~1872年
武蔵国(むさしのくに)川崎(現:神奈川県川崎市)生まれ
江戸時代後期から明治時代の医師。長崎県でオランダの医学を学んだ。佐倉市に「順天堂」(じゅんてんどう)という塾を開き、西洋医学を広めた日本近代医学の先駆者。
『佐倉市郷土の先覚者 シリーズ小事典 1』(佐倉市教育委員会 編集、佐倉市教育委員会、2001)
『ポプラディアプラス人物事典2』(ポプラ社、2017)
『日本人名大辞典』(講談社、2001)

18

佐藤 信淵
(さとう のぶひろ)

1769年~1850年
出羽国(でわのくに)西馬音内村(にしもないむら)(現:秋田県羽後町)生まれ
江戸時代後期の思想家、経済学者。蘭学(らんがく)を学び、日本各地をめぐって、国学者平田篤胤(ひらたあつたね)などから様々な分野の学問を学んだ。農業や産業を盛んにすること、貿易などを説いた。東金市大豆谷(まめざく)に滞在した。
『ポプラディアプラス人物事典2』(ポプラ社、2017)
『日本人名大辞典』(講談社、2001)

19

柴原 和
(しばはら やわら)

1832年3月9日~1905年11月29日
播磨国(はりまのくに)龍野藩(たつのはん)(現:兵庫県龍野市)生まれ
初代千葉県令(けんれい)(県知事)。現在の千葉県は、明治の最初の頃には木更津県(きさらづけん)、印旛県(いんばけん)、新治県(にいはりけん)に分かれていた。柴原は明治4年に木更津県令になり、明治6年の千葉県の発足とともに千葉県令となった。
『千葉県を築いた人々』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『日本人名大辞典』(講談社、2001)

20

鈴木 貫太郎
(すずき かんたろう)

1867年~1948年4月17日
和泉国(いずみのくに)大鳥郡(おおとりぐん)伏尾新田(ふせおしんでん)(現:大阪府堺市)生まれ
軍人・政治家。第42代内閣総理大臣。幼少期に野田市(旧関宿町)で育つ。二・二六事件で襲撃(しゅうげき)されるが、命はとりとめる。1945年4月に内閣総理大臣になり、戦争終結に尽くした。晩年を野田市で過ごした。
『ポプラディアプラス人物事典2』(ポプラ社、2017)
『日本人名大辞典』(講談社、2001)

21

関 寛斎
(せき かんさい)

1830年~1912年10月15日
上総国山辺郡(やまべぐん)中村(現:東金市)生まれ
幕末から明治時代の医師。
佐倉順天堂の佐藤泰然(たいぜん)に西洋医学を学び、銚子市で開業。のち、徳島藩に仕える医師になる。戊辰戦争(ぼしんせんそう)では政府軍の野戦病院の院長となって活躍し、明治時代には徳島県で貧しい人々の診療にあたる。明治35年、北海道に移り、自作農創設を志した。
『千葉県を築いた人々』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985) 『日本人名大辞典』(講談社、2001)

22

染谷 源右衛門
(そめや げんえもん)

生没年不詳
平戸村(ひらどむら)(現:八千代市)生まれ。
江戸時代中頃の人で、印旛沼の西にあった平戸村(現:八千代市)の名主。大雨による印旛沼の水害を防ぐため、印旛沼の水を江戸湾(現:東京湾)に流す工事を計画した。
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『ぼくらの千葉県』(樋口 誠太郎 編著、ポプラ社、1981)
データベース「ジャパンナレッジLib」

23

武志 伊八郎信由
(たけし いはちろうのぶよし)

1752年~1824年
長狭郡(ながさぐん)下打墨村(しもうつみむら)(現:千葉県鴨川市)生まれ。
彫刻師。別名「波の伊八」。千葉県をはじめ、東京都や神奈川県に多くの彫刻を残している。代表作に行願寺(ぎょうがんじ)(いすみ市)の「波に宝珠」があり、浮世絵師(うきよえし)の葛飾北斎(かつしかほくさい)に影響を与えたといわれる。
『千葉県の歴史100話』(川名 登 編著、国書刊行会、2006)
『ふるさと鴨川 子どものための郷土史』(鴨川市立図書館 編集、鴨川市教育委員会、2010)
鴨川ポータルサイト「かもがわナビ」

24

田中 玄蕃
(たなか げんば)

生没年不詳
下総国(しもうさのくに)飯沼村(いいぬまむら)(現:千葉県銚子市)生まれ。
江戸時代前期のしょう油醸造家(じょうぞうか)。1616年、西宮(にしのみや)(兵庫県)の真宣九郎右衛門(さなぎくろうえもん)の教えにより、しょう油づくりを始めた。現在のヒゲタ醤油の始祖となる。
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『ポプラディアプラス人物事典 2 』(ポプラ社、2017)
データベース「ジャパンナレッジLib」

25

千葉 常胤
(ちば つねたね)

1118年~1201年3月25日
上総国(かずさのくに)大椎(おおじい)(現:千葉市)生まれ。
鎌倉時代の武将。大椎城(おおじいじょう)(千葉市緑区)で生まれ、9歳で亥鼻城(いのはなじょう)(千葉市中央区)に移った。のちに源頼朝(みなもとのよりとも)をたすけ、鎌倉幕府の樹立に貢献した。
大日寺(だいにちじ)(千葉市稲毛区)に墓石がある。
『郷土歴史人物事典 千葉』(高橋 在久 編著、第一法規、1980)
『千葉常胤とその子どもたち 千葉氏入門ブックレット 1』(千葉氏顕彰会 編、啓文社書房、2018)
データベース「ジャパンナレッジLib」

26

津田 梅子
(つだ うめこ)

1864年12月3日~1929年8月16日
江戸の牛込(うしごめ)(現:東京都新宿区)生まれ。
教育者。佐倉藩出身の農学者津田仙(つだせん)の次女として生まれる。8歳(数え年)のとき、日本最初の女子留学生5人のうちの1人として、岩倉使節団(いわくらしせつだん)とともにアメリカに留学。1900年に女子英学塾(現在の津田塾(つだじゅく)大学)を設立した。
『日本近現代人名辞典』(臼井 勝美 編、吉川弘文館、2001)
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
『郷土歴史人物事典 千葉』(高橋 在久 編著、第一法規、1980)
データベース「ジャパンナレッジLib」

27

鉄牛和尚
(てつぎゅうおしょう)

1628年~1700年
長門国(ながとのくに)(現:山口県)生まれ。
江戸時代初めの黄檗宗(おうばくしゅう)(仏教の一宗派)の僧。椿海(つばきのうみ)(現在の旭市にあった湖)の干拓(かんたく)事業を推進した。その干拓の功績により土地を与えられ、福聚寺(ふくしゅうじ)(東庄町)を建てた。
『郷土の人物 ポプラディア情報館』(菅野 則子 監修、ポプラ社、2011)
『あさひ輝いた人々』(あさひ輝いた人々編さん委員会 編、千葉県旭市、2017)

28

長嶋 茂雄
(ながしま しげお)

1936年2月20日~
印旛郡臼井町(現:佐倉市)生まれ。
プロ野球選手。1958年、読売巨人軍(ジャイアンツ)に入団、1965年からの巨人軍日本シリーズ9連覇(れんぱ)に貢献した。引退後は巨人軍の監督となり、5回のリーグ優勝を果たした。2013年、国民栄誉(えいよ)賞を受賞。
『日本近現代人物履歴事典 第2版』(秦 郁彦 編、東京大学出版会、2013)
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
データベース「ジャパンナレッジLib」

29

日蓮
(にちれん)

1222年2月16日~1282年10月13日
安房国(あわのくに)小湊(こみなと)(現:鴨川市小湊)生まれ
漁師の家に生まれる。12歳のとき鴨川市にある清澄寺(せいちょうじ)にあずけられ、16歳で出家して僧になった。その後修行をつみ、32歳のとき清澄寺にもどって日蓮宗(にちれんしゅう)を開いた。仏教の経典(きょうてん)のひとつである『法華経(ほけきょう)』を説いた。
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『日本仏教の開祖たち 日蓮』(梅田 紀代志 作、PHP研究所、2011)
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30

菱川 師宣
(ひしかわ もろのぶ)

1618年~1694年6月4日
安房国保田(ほた)(現:鋸南町)生まれ
縫箔師(ぬいはくし:刺しゅう職人)の子として生まれる。はやくから江戸に出て絵を学び、井原西鶴(いはらさいかく)の『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』などの本のさし絵をえがいて活やくした。その後、さし絵を1枚の絵として出版し、浮世絵(うきよえ)版画を始めた。代表作に『見返り美人図』『歌舞伎図屏風(かぶきずびょうぶ)』などがある。
鋸南町に記念館がある。
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
『千葉の先人たち』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1981)
『史跡と人物でつづる 千葉県の歴史』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編著、光文書院、1986)
菱川師宣記念館ホームページ
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31

堀田 正睦
(ほった まさよし)

1810年8月1日~1864年3月21日
江戸(現:東京都)生まれ
佐倉藩主(はんしゅ)の次男として生まれ、14歳で藩主になった。25歳で佐倉に「成徳(せいとく)書院」を開校した。その後1841年に老中(ろうじゅう)になるが、2年後に辞任。佐倉藩にもどって藩政(はんせい)改革を行った。1855年にふたたび老中になり、アメリカの外交官ハリスと通商条約の交渉にあたった。
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『「佐倉市郷土の先覚者」シリーズ小事典2 ふるさと佐倉に星と輝いた人々』(佐倉市教育委員会 編、佐倉市教育委員会、2001)
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間宮 七郎平
(まみや しちろうべい)

1893年10月19日~1958年9月25日
和田町(わだまち)(現:南房総市和田)生まれ
和田町の農家に生まれ、上京して明治薬学校へ入学。その後、薬剤師となり薬局をひらく。花の世話を好み、花づくりが成功すれば地元のまずしい生活が救われるとの思いから、生花組合を設立し、南房総を花の産地にした。
『間宮七郎平と和田の花』(石渡 進 著、和田小学校社会科研究部、1983)
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『千葉の歴史ものがたり』(「千葉の歴史ものがたり」編集委員会 編、日本標準、1981)
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安井 理民
(やすい はるたみ)

1859年3月3日~1894年2月16日
成東町(現:山武市成東)生まれ
19歳の若さで戸長(町長)になり、成東町の発展につくした。千葉県の発展のために鉄道の開設運動を行い、反対もあったが、ねばり強い説得により明治22年に千葉県初の鉄道をしく許可を得た。
『千葉県を築いた人びと』(千葉県教育研究会社会科教育部会 編、旺文社、1985)
『わたしたちの山武市』(山武市社会科副読本編集委員会 編、山武市教育委員会、2012)
さんむしキッズページ「山武市ってどんなまち? 安井理民さんをもっと詳しく」

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柳田 國男
(やなぎた くにお)

1875年7月31日~1962年8月8日
兵庫県生まれ
8人兄弟の六男として生まれる。官僚(かんりょう)となり、日本各地に残る習俗(しゅうぞく)や伝承の研究をする日本民俗学者になった。兄の松岡鼎(かなえ)と両親が我孫子市布佐(ふさ)に移り住んだことで、「布佐文庫(ふさぶんこ)」の設立に協力するなど地域文化の発展に貢献した。
『日本の歴史人物 ポプラディア情報館』(佐藤 和彦 監修、ポプラ社、2006)
『ふるさと我孫子の先人たち』(我孫子市教育委員会教育総務部指導課 編、我孫子市教育委員会、2016)
利根町ホームページ「柳田國男記念公苑」
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